美容師が独立するとき、お客様をどうするか|顧客情報は持ち出せない理由・引き抜きの線引き・必要な顧客数
独立する美容師にとって、いちばんの悩みは今のお客様のことです。顧客名簿やカルテを持ち出せない理由、お客様が担当者を選ぶ自由、在職中の勧誘が問題になった判決、必要な固定客の数の計算方法を、法律と判決をもとに整理しました。
独立を考える美容師にとって、いちばん大きな悩みは「今のお客様をどうするか」です。指名してくださるお客様に新しいお店でも来ていただきたい。でも、引き抜きと言われてトラブルになるのは避けたい。
この記事では、独立するときにお客様の情報をどう扱えばよいか、どこからが問題になるのかを、個人情報保護法・不正競争防止法の条文と、実際の判決をもとに整理します。送り出す側のサロンオーナーが気をつけることも、あわせてまとめました。
先に結論
- お店の顧客名簿・カルテ・業務で使っている連絡先は、お店のものです。持ち出して新しいお店の案内に使うと、法律上の責任を問われることがあります(2章)。
- 一方で、お客様がどのお店を選ぶかは、お客様の自由です。担当者を慕って新しいお店に来てくださることを、裁判所も不自然ではないとしています(3章)。
- 問題になりやすいのは、雇われている間に新しいお店を開いたり、施術中に案内したりすることです。実際に賠償を命じた判決があります(4章)。
- だから新しいお店では、1人目のお客様から自分のお店の仕組みでつながり直すことが大切です(7章)。
この記事は一般的な情報の整理です。就業規則や誓約書の内容によって判断は変わるため、具体的な事情があるときは弁護士に相談してください。
1. 独立前に整理しておくこと
独立の準備でお客様のことを考えるとき、混同しやすいのが次の2つです。
| 区別 | 中身 |
|---|---|
| お客様の情報 | 名簿・カルテ・電話番号・LINEの連絡先など。お店が業務のために集め、管理しているもの |
| お客様との信頼関係 | 「この人に切ってほしい」というお客様の気持ち。情報とは別のもの |
情報はお店のものですが、お客様の気持ちや選択は、お店のものでも美容師のものでもありません。情報は持ち出さず、選んでいただける状態をつくる。これが、独立でお客様を大切にする基本の考え方です。
2. 顧客名簿・カルテは誰のものか
個人情報保護法の考え方
お店が業務のために集めたお客様の名簿やカルテは、お店(個人情報取扱事業者)が管理する「個人情報データベース等」です。
個人情報保護法第179条は、事業者の従業者や従業者であった者が、業務で扱った個人情報データベース等を、自分や第三者の不正な利益を図る目的で提供し、または盗用したときは、1年以下の拘禁刑または50万円以下の罰金に処すると定めています。退職した後も対象になります。
自分しか見られない連絡先でも安心はできません。個人情報保護委員会のQ&Aは、従業者本人しか使えないアドレス帳や名刺でも、お店の業務のために使っているのであれば、お店の個人情報データベース等に当たり得るとしています(Q&A 1-37)。業務で使う携帯電話の電話帳についても、個人情報データベース等に当たるとしています(Q&A 1-38)。お客様と予約のやり取りをしていた個人のLINEも、同じように考えておくのが安全です。
不正競争防止法の考え方
顧客情報は、不正競争防止法の「営業秘密」として守られることもあります。営業秘密に当たるのは、次の3つをすべて満たす情報です(同法第2条第6項)。
- 秘密として管理されている
- 事業活動に役立つ
- 世間に知られていない
営業秘密を示された従業者が、不正の利益を得る目的やお店に損害を加える目的で使ったり開示したりすることは「不正競争」に当たり、差止めや損害賠償の対象になります(同法第2条第1項第7号)。
判決では「カルテの管理の仕方」が分かれ目になった
美容業に近い、まつげエクステ・エステのサロンでの判決があります。退職した従業員が顧客の情報を使ったとして、お店が訴えた事件です。
裁判所は、カルテを従業員の誰もが見られる状態だったこと、私用のスマホのLINEでカルテの画像を共有していたことなどから、カルテは「秘密として管理されていなかった」と判断し、営業秘密とは認めませんでした(知財高裁 令和元年8月7日判決、東京地裁 令和2年11月17日判決)。
この判決は「持ち出してもよい」という意味ではありません。営業秘密に当たらなくても、個人情報保護法の問題は別に残ります。そして、お店の側から見れば、顧客情報を守れるかどうかは管理の仕方で決まるということです(6章)。
3. お客様が担当者を選ぶのは自由
一方で、お客様が自分の意思で担当者の新しいお店を選ぶことまで、禁じられているわけではありません。
理美容に関わる会社の事件で、東京地裁は、お客様が技術者や担当者と継続的な信頼関係を築き、引き続きその人に相談したいと望む場合は少なくないとして、元の担当者の新しいお店にお客様が来店することは不自然とはいえない、と述べています(東京地裁 平成17年2月23日判決)。
先ほどのまつげエクステのサロンの事件でも、業務委託の関係だった人について、お客様がどちらのお店で施術を受けるかは「顧客の選択によるもの」だとして、義務違反を認めませんでした(大阪地裁 令和8年1月29日判決)。
大事なのは、お客様が選べる状態をつくることと、お店の情報を使って働きかけることは違うという点です。
4. 問題になりやすいのは「在職中」の行動
同じ大阪地裁の判決で、賠償を命じられたのは、雇用されている間に次のことをした人でした。
- 元のお店と同じ区内に、サービスが重なる自分のお店を開いた
- 元のお店で施術しているときに、お客様に新しいお店を開いたことや店名を伝えた
- 新しいお店のLINEアカウントなどを書いた名刺を渡した
その結果、元のお店のお客様18名が新しいお店に通うようになりました。裁判所は、雇用契約に伴う誠実義務(労働契約法第3条第4項)に反するとして、10万8000円の支払いを命じています。
つまり、辞める前に、お店の中で、お店の時間を使って新しいお店に誘うことが問題になります。新しいお店の案内は、退職してから、自分の発信で行うのが基本です。
5. 就業規則と誓約書を確認する
勤め先によっては、就業規則や入社時・退職時の誓約書に「退職後○年間は○○市内で開業しない」といった、競業を制限する定めがあります。
こうした定めは、憲法が保障する職業選択の自由(第22条第1項)を制限するものなので、裁判所は無条件には認めません。前出の知財高裁の判決は、退職後の競業の制限は、個別の合意や就業規則の定めがあり、かつその内容が、守られるべきお店の利益、在職時の地位、制限の範囲、代償措置の有無などに照らして合理的と認められる限り許される、としています。
同じ判決の中で、裁判所は2つの定めを分けて判断しました。
| 定め | 判断 |
|---|---|
| 就業規則:地位に関わりなく、無限定に退職後の競業を禁じる | 無効 |
| 入社時の誓約:2年間・同じ市内・お店の秘密情報を使った競業に限って禁じる | 有効 |
範囲を絞った誓約は有効とされることがある、ということです。自分が何に署名したのか、独立を決める前に必ず確認してください。判断に迷うときは、弁護士に相談するのが確実です。
6. 送り出すサロンオーナーが気をつけること
ここまでの話は、スタッフを送り出す側から見ると、次のように整理できます。
- 顧客情報は、お店の仕組みの中で管理する:スタッフ個人のLINEや私用のスマホでお客様とやり取りしたり、カルテの画像を共有したりすると、判決のように「秘密として管理されていなかった」と判断されることがあります
- 見られる範囲と持ち出しのルールを決める:個人情報保護法は、お店に従業者を監督する義務を課しています(第24条)。秘密保持のルールを就業規則などに書き、スタッフに伝えておきます
- お客様との連絡は、お店の名義で行う:予約・カウンセリング・次回のご案内をお店の公式の窓口で行えば、担当者が替わっても、お客様との関係はお店に残ります
スタッフの独立そのものを止めることはできません。できるのは、お客様の情報をお店として管理し、担当者が替わってもお客様が困らない状態にしておくことです。
7. 独立に必要な顧客数を計算する
「何人のお客様がいれば独立できるか」は、売上の目標から逆算できます。
必要な固定客の数 = 1か月の売上目標 ÷ 客単価 × 12か月 ÷ 1人あたりの年間来店回数
1人あたりの年間来店回数には、調査の数字が使えます。ホットペッパービューティーアカデミーの「美容センサス2026年上期」では、女性の美容室の年間利用回数は4.18回でした。
たとえば、1か月の売上目標が80万円、客単価が8,000円なら、1か月に必要な来店は100人、1年で1,200人です。これを4.18回で割ると、約287人の固定客が必要という計算になります。
ここで気をつけたいのは、今の指名客がそのまま全員来てくださる前提で計算しないことです。独立後に来てくださるかはお客様が決めることで、名簿を使って呼び戻すこともできません。新しいお店の近くで新規のお客様を迎え、その方に2回目・3回目と来ていただく計画を、最初から立てておきます。売上と経費の計算は、売上計画シミュレーターで試せます。
8. 新しいお店では、1人目からつながる
前のお店の名簿は使えません。だからこそ、新しいお店では、1人目のお客様から自分のお店の仕組みでつながることが大切です。
- 予約とご連絡は、お店の公式のLINEで受ける
- カウンセリングの内容と施術の記録を、お店のカルテに残す
- 次回のご来店の時期を、お店からご案内する
こうしておけば、開業初日からのお客様の記録がすべて新しいお店に残ります。将来スタッフを雇ったときも、6章の「送り出す側」として困ることがありません。
私たちが提供しているLIKEは、お店のLINE公式アカウントで予約・カウンセリング・カルテ・次回のご案内をまとめられる仕組みです。開業と同時に始める方法は、開業と同時にLIKEを始めるをご覧ください。お客様へのご挨拶の文面は、退職・独立のご挨拶 例文にまとめています。
9. よくある質問
Q1. 自分の指名客の連絡先なら、独立後に連絡してもよいですか。 A. お店の業務として集めた連絡先は、お店の個人情報データベース等に当たり得ます。自分しか使えないアドレス帳でも、業務のために使っていたものならお店のものと考えられます(個人情報保護委員会 Q&A 1-37)。新しいお店の案内に使うのは避け、お客様に見つけていただける発信をしてください。
Q2. お客様から「辞めたらどこに行くの?」と聞かれたら、答えてもよいですか。 A. まずは勤め先のお店とどこまで話してよいかを相談してください。在職中に施術しながら新しいお店を案内し、名刺を渡したことが、誠実義務違反とされた判決があります(大阪地裁 令和8年1月29日判決)。「退職後にSNSでお知らせします」とお伝えするなど、在職中の勧誘にならない答え方を決めておくと安心です。
Q3. 「退職後2年間は近くで開業しない」という誓約書に署名しています。独立できませんか。 A. 退職後の競業制限は、守られるべきお店の利益、在職時の地位、制限の範囲、代償措置などに照らして合理的な範囲でのみ認められます(知財高裁 令和元年8月7日判決)。有効かどうかは内容次第なので、署名した書面を持って弁護士に相談してください。
Q4. 独立したら、前のお店のお客様が来てくださいました。問題ですか。 A. お客様がご自分の意思で新しいお店を選ぶことは、問題ではありません。裁判所も、担当者に引き続き相談したいと望むお客様がいるのは不自然ではないと述べています(東京地裁 平成17年2月23日判決)。問題になるのは、お店の名簿を使って案内したり、在職中に勧誘したりした場合です。
Q5. サロンオーナーとして、スタッフの独立でお客様が離れるのを防ぐには。 A. 独立そのものは止められません。お客様の情報をお店の仕組みで管理し、ご連絡もお店の名義で行い、担当者が替わってもお客様の記録と好みが引き継がれる状態にしておくことが、いちばんの備えになります。
10. まとめ
- 顧客名簿・カルテ・業務で使った連絡先はお店のもの。持ち出して使うと法律上の責任を問われることがある
- お客様が担当者を選ぶのはお客様の自由。情報は持ち出さず、選んでいただける状態をつくる
- 在職中に新しいお店を開いたり、施術中に案内したり、名刺を渡したりするのは避ける
- 就業規則と誓約書は独立を決める前に確認する
- 必要な固定客の数は「売上目標÷客単価×12÷年間来店回数」で計算する。今の指名客を前提にしない
- 新しいお店では、1人目から自分のお店の仕組みでつながる
出典・参考
- 個人情報の保護に関する法律(e-Gov法令検索) 第24条(従業者の監督)、第179条(従業者であった者による個人情報データベース等の不正な提供・盗用の罰則)
- 個人情報保護委員会「「個人情報の保護に関する法律についてのガイドライン」に関するQ&A」 Q1-37(従業者本人しか使えないアドレス帳・名刺でも、業務に使っていれば事業者の個人情報データベース等に当たり得る)、Q1-38(業務で使う携帯電話の電話帳)
- 不正競争防止法(e-Gov法令検索) 第2条第6項(営業秘密の定義)、第2条第1項第7号(示された営業秘密の不正使用)
- 知的財産高等裁判所 令和元年8月7日判決(平成31年(ネ)第10016号 競業差止請求控訴事件) 退職後の競業制限が許される判断の枠組み、無限定の就業規則は無効・範囲を限った誓約は有効、カルテの管理状況
- 東京地方裁判所 令和2年11月17日判決(平成31年(ワ)第10672号ほか) 施術履歴(顧客カルテの情報)は秘密管理性を欠き営業秘密と認められない
- 大阪地方裁判所 令和8年1月29日判決(令和6年(ワ)第5586号) 雇用中の開店・施術中の案内・名刺の交付を誠実義務違反と認定(10万8000円)、業務委託の者については顧客の選択によるもの
- 東京地方裁判所 平成17年2月23日判決(平成15年(ワ)第7588号ほか) 担当者に引き続き相談したいと望む顧客が新しい店に来店するのは不自然とはいえない
- 日本国憲法(e-Gov法令検索) 第22条第1項(職業選択の自由)
- ホットペッパービューティーアカデミー「美容センサス2026年上期【美容室編】」 市場規模・単価・年間利用回数(女性4.18回)の一次データ。調査期間2026年1月21日〜2月12日
制度の内容は改定されることがあります。手続きの詳細・期限・手数料は所轄の窓口で最新の情報をご確認ください。 当編集部の考え方は編集方針に記載しています。
この記事について
LIKE編集部(株式会社SALON CONCIERGE)が執筆しています。 美容サロン向けにLINE連携の予約・顧客管理サービス「LIKE」を開発・運用しており、 サロンボードとの連携や予約の自動化を、実際にサロン様の現場で導入・運用してきた経験にもとづいて書いています。
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